セーターは買うのに、本は買わないのか?食べ物は?

これも会社へ向かっている時に考えた事。朝は頭が良く働くんだなと心底思います。

赤いセーターをメルカリで発見した後、すぐには買わずに、私はそのセーターを長く大切に扱うことが出来るかを2日間考えた。クレカの締め日を待ったのもある。 会社へ向かう電車の中で、売り切れになっていないことを確認。少しでも安くゲットできるならと、値下げ希望のメッセージを送る。電車から降りて歩いている時に赤いセーターを端にして以下の事を考えていた。これはその備忘録。

なんで私はそんなに欲しいんだろう?ぶっちゃけ赤のセーターはもう持ってるやつあるんじゃん。ちゃんと着るの?しかも安くなってて1万越えだしそんなお金をかけるべきことなのか?いや、でも欲しいんだ。自分の声は無視できない。2ヶ月経って覚えているほど欲しいなら、ずっと大切にする自信がある。

要はめちゃくちゃ欲しくて自分を納得させられるほどの買う理由をすごく考えていた。服ってなんでこんなに「欲しい!!!」っていう欲求が強くなるんだろう?他の物、例えば食べ物に対しては、また今度とかいつかまたと思ってあっさりその場を立ち去るシーンが多いのに。服は中毒っぽい。そうじゃない人もいるんだろう。私にとっては合理性が働かなくなる対象の一つ。それを自分で分かっているから赤いセーターについても自分自身に歯止めをかけているんだと思う。欲求だけで動いてもそれが後々の自分にとってあんまり良い選択ではないと知ってるから。経験は強し。

中毒の対象を変えることは難しいけど、欲求は永続的なものに対してももっと向けることができたらいいなと最近は思ってる。本は知識と気付きをくれて、食べ物は血や肉として肉体を形成する。私をもっと私たらしめるものに欲求の矛先を向けて、適切な投資をしていきたい。