「推し、燃ゆ」6月より湿度高い
湿度高すぎ高すぎ君だ…
この物語に本当に共感できる人って超一握りだと思う。推しの存在が、登山の時に使うトレッキング用の杖だとする人は、推しがいなくても、険しい山道を自分の背骨でなんとか立って歩くことができる。そうするしかないから。
背骨を失うことは這いつくばって生きるしかないということ。新しい背骨はもう金輪際新しく生えてくることはなくて、もしそれが現れたとしてもそれは背骨みたいな「何か」なんだと思う。そういう、代わりがない推し 的な感覚は死ぬほど理解できると思った。この部分だけは心底あかりに同情できる。
このお話のストーリーは別として、この類稀な表現力があればそりゃ話題になるわな、と思わずにいられないほどの文章でなんかもうそこに感服する。言葉を紡げる人には尊敬の念しかない…。